秘匿性の高い自社保有型の不動産として認知されてきた研究開発施設だが、人材採用の強化や知識交流の促進などを背景に「賃貸ラボ」の需要が高まりつつある。本稿では、賃貸ラボが注目される理由をはじめ、賃貸ラボ市場を牽引する「三井リンクラボ」の取り組みから、施設選定時に注意すべき着眼点などを解説する。
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賃貸ラボが注目される理由とは?施設増加の背景、選定ポイントについて解説する
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賃貸ラボの新規供給ペースは4倍超に
最近の企業を取り巻く事業環境は日々刻刻と大きな変化に見舞われており、企業による研究開発も同様に大きな変化の最中にある。
そうした中、にわかに注目を集めているのが「賃貸ラボ」である。企業がラボ、研究開発の拠点を置くことを目的とした賃貸物件(賃貸ラボ)の供給がここ数年増加傾向にある。
従前のストックでは大学や行政などの公的セクターが整備・運営するベンチャー企業のための小型施設が多かった。しかし、近年では民間セクターの企業による研究所専用の大型の賃貸物件の開発の増加しており、さらにオフィス等の一部を改修して研究開発用に用途変更(コンバージョン)する物件も市場に供給されていることから、賃貸ラボのストック面積(市場規模)の増加ペースは加速している。
出所:2025年6月5日時点の情報に基づきJLLが推計・作成 注:集計では「主として科学実験を含む研究開発活動を専有部内で行う企業を募集する賃貸区画があり、物件の用途としても研究開発を記載している物件」の面積を対象としてデータを集計し、推計した。コンバージョン物件は「主用途がラボ/R&D以外だが、区画としてラボの対応が可能であることをリーシング資料等に明記している物件」を対象としてデータを収集し、推計を行った。時系列については、募集開始時期が不明の物件については竣工年に研究開発用の賃貸面積が供給されたという仮定に基づく。なお、本図における関東圏とは、1都4県(東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城)を指す。
JLL日本 リサーチ事業部の調査によると、関東圏における賃貸型の研究開発用物件のストック面積は2024年末時点で約400,000㎡に達した。2010年代(2010-20年)のストックの増加量は110,000㎡であり、2020年代(2020-30年)のストックの増加量は480,000㎡を見込む(予測値を含む)。すなわち、2020年代の賃貸ラボ物件の市場規模の拡大ペースは、2010年代と比較して4倍以上になる。2025年は本格的に賃貸ラボ市場の規模が拡大する局面の最中であるといえるだろう。
JLLレポート「研究開発拠点の立地戦略:賃貸型R&D不動産の可能性」の執筆者である、JLL日本 リサーチ事業部 シニアマネージャー 松本 優希はストック面積が増加している状況について次のように解説する。
「物件の供給数が増えていることに加え、供給物件の大型化が進んでいる。2020年代の賃貸ラボ専用物件の新規供給の棟数は26棟を見込む。2010年代は14棟であるため、20年代には2倍近い棟数が供給される見込みだ。一棟当たりの貸付面積も2010年代には約7,600㎡であったが、20年代は約13,000㎡と2倍近くになる。供給トレンドの変化により、小型の区画から大型の区画まで賃借可能な面積の多様化が進展している。さらには、例えば三井リンクラボシリーズが首都圏内の柏の葉(千葉県柏市)、東京23区内の新木場(江東区)、都心部の日本橋(中央区)などで展開しているように、供給の増加は立地の多様化をもたらしてきた。こうした変化を通じて、賃貸ラボは幅広い企業の研究開発活動の受け皿として有力な選択肢になりつつある」
では、賃貸ラボが増加する理由とは何か? 松本は「ワーカー」と「研究開発」に関する2つの変化を指摘する。
1. ワーカーの変化:働き方と労働人口
日本は人口減少時代の最中にある中で、企業にとって人手不足は切実な課題となっている。こうした背景の中、優秀な働き手を確保するために企業はオフィスを中心に働く場所、ワークプレイスを「ワーカー本位の場」に変化させてきた。ワーカーの快適性や利便性を追求するワークプレイスを構築することで、生産性向上と共に、優秀な人材を確保し、長期雇用の維持を目的としている。
JLLがグローバル企業(日本企業を含む)の経営層2,300名超を対象に調査を行った「2024年版 Future of Work(働き方の未来)グローバル調査」(以下、FoWレポート)において、企業がその不動産(CRE)を活用して今後5年間で実現したい経営上の目標(解決したい経営課題)について質問したところ、日本企業は「優秀な人材の採用と定着」を最重要視(45%)していた。グローバル平均(28%)と比較すると非常に大きな差がみられた。
こうした企業の意識がすでに顕在化しているのがオフィスセクターである。都心部に立地するハイグレードなオフィスビルの需要は非常に強く、足元では空室も非常に少ない。ラウンジやフィットネスといった、充実したアメニティを備えた先進的なビルにオフィスを構えて、ワーカーの満足度を高め、人材採用と雇用の維持を図る取り組みが広がっている。
働く場所のハード面だけでなく、組織の在り方を変革するソフト面からのアプローチにも注力する企業は多い。FoWレポートによると「週1日以上のリモートワーク」を就業ポリシーとして採用している日本企業は61%であり、グローバル平均(56%)や、中国・インドなどアジア太平洋地域の各国を上回っていた。ハイブリッドワーク制度というソフト面での福利厚生にも意識を向け、世界的にみてもワーカーに配慮した働き方を先進的に取り入れているのが日本企業であるといえるだろう。
こうしたトレンドを受けて、松本は「人が働く場所であれば、この動きは同様に広がっていくと考えている。特に優秀な人材(研究者)が必要になる研究開発施設においても、今後この流れは波及していくだろう」との見解を示す。
ワークプレイスの改革が研究開発施設においても進むと予想する理由については、多くの企業が未着手であることを挙げる。FoWレポートでは、施設利用の効率化の取り組みの浸透率を測るべく、「施設の稼働率」について調査しているが、ライフサイエンス分野においてオフィス以外の施設で稼働率を測定している企業はわずか18%に留まる。つまり、研究開発施設は効率化の余地が大きく、松本曰く「働き方改革がこれから起こる“フロンティア”」だといえるのだ。
2. 研究開発の変化:知識交流の重要性の増大
人材不足もあり、生産性を高めることは企業の重要な目標となっている。研究開発の生産性を高め、複雑性を打破するイノベーションを加速させるために、人の交流を促すような新しい形の研究開発施設に対する需要が拡大している。従前の施設は情報漏洩を防ぐ観点から秘匿性の高い場所に立地し、自社使用に限定されることが一般的だった。しかし、社内外を問わず多様な人々と交流することをきっかけにイノベーション創発を目指す、分野横断型の研究開発を試みる企業が増えている。こうしたトレンドに対応する新しいハード(研究開発拠点)の需要も高まっている。
JLLでは2020年から3年半程度の間に発表された研究開発拠点の新設や移転に関する報道・プレスリリースを集計し、200超の事例からその理由を分析した。その結果、最も多かったのが「知識交流」であり、社内外を問わず人と人との交流を増やしたいという目的が過半数を超えた(54%)。さらに、このデータを自社物件と賃貸物件にわけて比較分析したところ、賃貸物件(約50事例)では知識交流を重視していると共に、人材採用に言及した事例が20%となり、自社型(約150事例)における5%と比較して比率が高かった。
自社物件では拠点統合や拡張のために大規模な拠点を整備して、異なる部署を横断した社内連携を強化させる傾向がみられた。賃貸物件では、好立地に拠点を構えて社外との交流を促し社外の人材への採用強化にもつなげる狙いがみられた。ただし、今後は大型の賃貸ラボ物件の供給が増加するため、賃貸ラボは社外との知識交流の促進だけでなく、拡張や集約を動機とする拠点開設のニーズの受け皿としても浸透していくとみられる。
JLLが国勢調査を用いて関東における研究者と労働者全般の昼夜間人口比率を比較したところ、労働者全体としては都心部に昼間人口(就労エリア)が集中している一方、研究者は昼間人口のエリアが分散しており、研究者の働く場所が都市から離散する傾向にあることが示唆された。研究者も都心居住を選好する傾向があるため、優秀な人材の採用と長期雇用を推進するためにも、研究者の働く場所の利便性を高めることが、オフィス同様に重要になるとみている。
これらの分析について、松本は「研究開発拠点は新たな“知識・技術”を生み出していくことが最優先される場所である。多様な才能を持った人々が交流し、お互いが持つ知見・ノウハウが組み合わさることで、生産性の向上やイノベーションの実現が期待される」との見解を示す。
賃貸ラボの需要増を受けて変化する不動産市場
従前の研究開発拠点は製品開発のために工場に近接する自社保有・独立型の施設が主流だったが、人材の集積と交流が優先事項になったことで、その特性はオフィスビルに近づくとみられる。交通至便性を重視した都心部立地であるがゆえ、自社開発はコスト負担が重くなるとみられることからも、その受け皿となるのは賃貸ラボとなるだろう。
そして、賃貸ラボは社会的に意義のある取り組みであることも新規供給の追い風となりそうだ。賃貸ラボには「イノベーション創発」を支援することを動機として整備された物件も多い。実際、米国では研究開発拠点が集積する「クラスター」からイノベーションが生まれており、日本においてもイノベーション・クラスターの形成と拡大を担うインフラとして、賃貸ラボに期待がかかっているためだ。
出所:JLL 注:オフィスの対象地域は全米、ラボスペースは「ライフサイエンス分野」における物件のみが対象であり、集計対象地域は以下の通り:ベイエリア、ボストン、ワシントンD.C.・ボルチモア、ニュージャージー、フィラデルフィア、ローリー・ダーラム、サンディエゴ、シアトル。
JLLでは、米国におけるオフィスと賃貸ラボ(※ライフサイエンス分野のみを対象)の賃貸稼働床面積の推移を調査したところ、2014年末を100として、2024年末時点でのオフィスの稼働床面積はほぼ横ばいの97(マイナス3)。一方、賃貸ラボは158(プラス58)と、約1.6倍に増加した。賃貸物件の新規供給増が床需要を喚起したことが窺える。
「『研究開発拠点は自社保有であるべき』といった固定観念は今後、覆されていくのではないか。新しい賃貸ラボの不動産開発そのものの成功事例や、入居テナントによるイノベーションの達成といった成功事例が積み重なれば、日本でも米国同様に賃貸ラボ市場が活性化することが期待できる。2020年代のCRE(企業不動産)のフロンティアは産業用不動産であり、この領域で先端的なワークプレイスを構築し、生産性を改善し、イノベーションを生み出した企業が、事業環境の絶え間ない変化の激流に耐え得る強靭さを備えることができるのではないか」(松本)
賃貸ラボを選定する際に着眼すべきポイント
画像提供:三井不動産
賃貸ラボは社会的環境の変化を受けて企業に待望されたアセットクラスに位置付けられ、新規供給も増加している。賃貸ラボを活用するメリットは非常に大きいが、数ある賃貸ラボの中からどのような着眼点で利用施設を選定すればいいのだろうか? 国内賃貸ラボ市場を牽引する「三井リンクラボ」の運営を担当する三井不動産 山崎 俊司氏は賃貸ラボを選定する際の基準として「運用ルールが整備され、専門的な実験等についてサイエンティストのサポートが受けられることが大きなポイント」と指摘する。